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SAW3 考察レビュー:
ネタばれ有り 10点中4点 
この「SAW」という映画になぜ魅せられてきたのか?
なぜ面白かったのか?
それは、この作品が単純に人を驚かせる「ゲーム」だったからだ。
それが何を意味するのかというと、この作品が「ゲーム」という部分に特化したならば成功だったと言えるが、映画として見た時は失敗に終ったということに他ならない。
この映画の思想が何処にあったのかと言うと「生を尊重しない奴への粛正」である。その意味で言うと、前作で破綻しかけたその思想を今作ではきちんと答えを出そうとしている意思が覗える。実際、2で疑問に思ったアマンダの思想をジグソウはきちんと粛正した。
だが、それ故にこの映画は映画として破綻への道を歩み始めてしまった。
今作で、彼は最終的に自分をゲームの一部に組み込んでしまった。(最前線で見るというのは守られているが)リンという女医を拉致監禁までして、生き永らえたかったのはなぜか?それは、彼が最後の最後まで「ゲーム」を楽しむ人間でしか無かったということを意味している。
それは、仮定を置けば簡単に説明が付く。
途中で、自分(ジグソウ)がもしかしたら死ぬという仮定で考えてみる。そうすると、このゲーム自体が破綻していることに気が付く。つまりどういうことが言いたいのかというと、生き永らえてこのゲームが成立すること自体おかしいということである。
「終局的に自分が生きていないと成立しないゲーム?」この現象自体がこの映画の破綻の始まりである。つまり、こういうことである。
彼は、リンという女医に延命措置をしてもらい、生き永らえた。しかし、自分がゲームの一部になることを選んだ。そして、結果死ぬ事になる。=生を尊重していない。
(注:自分を犠牲にしてでも生を尊重させたいという考え方も出来なくもないが、「延命措置」という部分に着目すれば、生の尊重という観点から考えれば生きるのが生の尊重と言えるので、有り得ないだろう。)
ということになるのである。これでは、本末転倒である。「生を尊重しない奴への粛正」では無かったのか?自分が生を尊重していないという最後の落ちでは、この映画がゲームはゲームでしかないという意味でしか結局無かった事になる。つまり、この映画は映画として失敗に終ったのである。ゲームとして成功して映画として失敗に終った。そいうことではないだろうか。但し、続編の製作が決まっているらしいのでこれからどうなるかは分からないけどね。というか、もうどうでも良いかもね・・・。
追記:逆説的に「だから、ジグソウは死んだんだ。」という解釈も出来なくも無い。それでも、ジェフを助けなければ、この映画に救いは無い。という解釈になるべきで有り、結局ゲームはゲームでしかないという事になる。


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